2024年11月19日

人間の本能に逆らう国は滅亡する法則

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他人の子供に老後の面倒を見て貰えるのなら、数千万もの費用をかけて子育てするよりは、子供を産まない方が経済的には超お得です!

前回の【日本の少子化が止まらない本当の理由】にて、日本の少子化の本当の理由について考察した所、日本の余りにもフリーライダーが得をする社会保障制度こそが真の原因とのコメントを頂きました。
  
>最大の理由は社会保障制度ですよ。
元々女性は男性に頼らなければ生活が難しく、病気の時や老後は男女とも伴侶や子供に面倒を看てもらわなければ生きていけなかったので、嫌でも結婚していました。
今は独身の子なしでも生活保護・年金・国保で生活できるため、家族を持つ必要がありません。
面倒な結婚をするより他人に寄生した方が楽なんだから、そりゃ独身の方を選びます。


他にも、結婚するメリット自体が無くなってるのも大きいとのコメントも頂きましたので、やはり、独身の方が経済的に得だと考える人も多いのでしょう。

確かに、昔は、女性にとっては生活保障の為、親にとっては老後の面倒を見て貰う為という下心が結婚への大きなモチベになっていたのは間違い無いのでしょうね。

今の社会保障制度では、わざわざ結婚して子供を産まなくても、他人の子供が老後の生活費を負担してくれますので、独身で他人にフリーライドして子供を産まない方が経済的に超お得ですからね。

僕自身も二人の子育て真っ最中ですが、老後の面倒を子供に見て貰おうとは1ミリも思って無いです。

ただ、これだけ経済的に負担をしてきたのに、そして今後も多大な教育費がかかるのに、僕の将来の年金額に1円の見返りも無いというのは、正直、モヤっとはします。

つまり、国の制度自体が、経済的に少子化を推進してるという事になってるのですよね。

昔の日本は、究極の自己責任社会だったので、自分の老後は我が子に面倒見てもらわなければ、餓死まっしぐらです。

つまり、子育てが将来の年金代わりだったのです。

それに加えて、家制度と宗教による社会的洗脳によって、後継ぎが絶えて無縁仏になる恐怖が、骨の髄まで染み込まれてたので、子供に結婚相手をあてがう事が、親のライフワークと化していたのです。

それら、日本人の古代から続いて来た結婚子育ての2大理由が、戦後のリベラル思想の刷り込みと社会福祉充実と言う名の社会主義政策により、根底から覆された以上、親も子も結婚にメリットを感じられなくのは当然の話なのです。

神が消え、家制度が無意味になり、老後の心配が無くなった日本で子供を産むのは、最早、純粋に動物として遺伝子を残したいという本能だけが唯一の理由となってしまいました。

それじゃあ、不妊治療とか保育所とか子供の医療費にいくら税金をつぎ込んでも、何の少子化対策にもならないのは当たり前ですね。

だって、現代日本人にとって、結婚&出産のそもそものメリットが無さすぎるのですから。

人間の金銭欲の凄まじさを軽視して設計された現代の社会保障制度は明らかに欠陥がありますので、これを修正出来る知恵の無い民族種は自然淘汰により地球上から消えゆく定めなのでしょうね。

これは、他人より金が欲しいという人間の強欲こそがエネルギーの資本主義国が繁栄して、人類皆平等を強制する共産主義国がこの世の地獄と化してるのと一緒の原理です。

つまり、人間の欲に逆らう国は天罰により亡びる運命にあるのですなぁ。


P.S. 前回のタイトルに多くのコメントを寄せられ、全てのコメントがメディアやヤフコメ等でもリアルの場でも絶対に聞かれないような、正鵠を射た意見ばかりであり、過疎ブログながらも続けて来て良かったとしみじみと心に響きました。

例え、顔も名前すら分からない人達でも、こうして本音を語り合える同士が居てくれるのなら、テレビ等の上っ面の浅い二番煎じトークしか出てこないようなリアル友達なんか全く要りませんね。

チョット臭いセリフを言いましたが、本気でそう思っております。

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posted by 山中 一人 at 21:10 | Comment(8) | TrackBack(0) | 内向型人間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2024年11月13日

日本の少子化が止まらない本当の理由

日本人終了のお知らせ
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写真 11/8 現代ビジネスより引用
( 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来人口推計」より)

とうとう、日本人の出生数の年間70万人割れが目前に迫って来ました。
   
出生数、初の70万人割れの公算 今年上半期、6%減の33万人

日本の少子化は空前の労働力不足や社会保険料の増大を招き、いよいよ日本国の持続可能性にすら疑問符がつきかねない状態になって来ております。

このままいけば、1000年後には日本人種が絶滅するらしいですから。

この異常事態に対して、さすがに政治家も気づき、児童手当や育児休業給付の拡充などの対策を講じて来ました。

しかし、日本の少子化問題は落ち着くどころか、近年ますます加速しており、以前の予測の中でも最悪のペースを辿っております。

何故でしょうか?

それは、誰も、日本の少子化の本当の理由に気付いてないからです。

例えば、上記ニュースのリンク先のコメントを見ても、やれ日本は子育てがしにくい国だからだとか、若者の収入が少なすぎて子供を産むどころでは無いとか、主に子育て中の不満ばかりが書き込まれ、政府が悪いとの意見で埋め尽くされております。

一方政治家の方も、そんな既婚者の要求ばかりを真に受けて、子育て世帯への給付ばかりを如何に手厚くするかに腐心し、ピント外れの対策に国費をつぎ込み、あまつさえその為の財源を若者から追加で徴収するという、むしろ少子化促進政策すら行ってる始末です。

しかし、日本の既婚女性の出生率は、実は以前から見れば逆に上がっている位なのです。

つまり、日本が子育てがしにくい国だから、少子化が進んでるという説は大ウソだったのです。

では、何故に、これだけ少子化が加速しているかと言えば、婚姻数が激減しているからなのです。

そう言うと必ず、日本は若者の非正規化が進み、収入が少なすぎるからとの意見で溢れかえります。

もしもそれが本当なら、日本より遥かに収入が低い国とか、日本でも戦前や昭和初期の国民全員が貧しかった時代の方が、遥かに結婚して子供を産んでいるという事実と矛盾しますね。

つまり、現実の少子化の理由は、非婚化のせいなのです。

そして、日本人の非婚化の理由は、性の多様化なぞでは無く、単にお見合い文化の消滅のせいです。

実際、僕の親もお見合い結婚ですし、僕の親戚もその親も殆どお見合いです。

僕の母親の兄貴は、30歳になっても結婚してないからと父親(つまり僕のおじいちゃん)に村じゅうに独身だから誰か結婚してくれる相手いないかと聞きに周り、とうとう隣村まで探し回り結婚相手をあてがわれたそうです。

大正末期生まれのその兄貴にしても、村じゅうに結婚相手がいない事を吹聴された事が余程恥ずかしかったのか、おじいちゃんの事をずっと怨んでいたそうですが・・・

他にも、おばあちゃんが病気で入院してる時に、隣の入院患者と子供の話になり、両方とも相手がまだ居ないという事で、退院後に子供のお見合いをセッティングして結婚したという話もありました。

斯くの如く、日本の皆婚社会というのは、地域社会で相手をあてがう事によって成り立っていたのです。

もしもお見合い制度が無ければ、僕自身もこの世に生を受けてないでしょうから、現在カタカタPCのキーボードを打ち込んで無い世界線となっている事でしょう。

本来、人間とは何もしなければカップリングしない生き物です。

古代の日本人は他集団に侵略されない為に、お見合い結婚制度を社会システムにビルトインして、子孫繁栄を最高の美徳と洗脳して、共同体を維持発展して来たのです。

故に、周りの大人が積極的にお見合いのおぜん立てをして、半強制的に結婚を促さない限り、非婚化が進むのは道理なのです。

連綿と続いてきた日本古来の結婚システムが戦後のリベラル思想の洗脳により、自由恋愛至上主義に取って代わられれば、善男善女は結婚出来ないのは当然の話です。

50歳の未婚率は約3割弱との事ですが、50代の僕の同級生を見てても、僕と同じレベルのスクールカースト底辺組は殆ど独身のままなので、やはり学生時代に女の子と喋れなかったコミュ障陰キャグループは生涯独身になるのが現実なのでしょう。

僕なんか、陰キャグループの中でもさらに下の最下層民でしたので、正直、大人になってステデイな女子が出来る未来なんて全く想像つきませんでしたからね。

そんな根暗ブサイクの僕でも結婚出来たのは、偏に若い頃に株で一山当てられたお蔭です。

つまり、現代は、非モテが結婚出来るには、準富裕層以上のラッキーパンチにでも巡り合えないと不可能な時代なのです。

敢えて言います。

少子化の本当の理由は、非モテが結婚出来ないからなのです。

つまり少子化=非婚化=非モテ問題です。

20代男性の約7割は配偶者・恋人がいません。

2000年以上に亘ってお見合いシステムによって、自分で何もしなくても相手をあてがわれて結婚出来た民族のDNAが、戦後いきなり自由恋愛市場に無理やり放り投げられても、はいそうですかと自力で相手を見つけるなんて不可能に決まってますよ!

相手がいない以上、子育て政策をいくら拡充したって、全くの無意味です。

ヤフコメ等のネット民も、政治が悪いせいで自分達は結婚出来ないと国を責めています。

絶対に認めたくないですからね。

自分が非モテ陰キャのせいで結婚出来ないなんて・・・

そして政治家もそんな上辺だけの声を真に受けて、声だけが大きい既婚者に金をばら撒く政策に国費を投入しています。

しかし、本当は勝ち組である既婚者にいくら税金をつぎ込んでも、全く少子化対策にならないのはデータにより証明されてますね。

コミュ強者の頂点に立つ政治家に非モテの心理なんてサッパリ分かる訳ありません。

日本の為政者もマスコミもピント外れの少子化対策しか思いつかないのは、真の弱者の存在が全く視界に入っていないからです。

恋愛弱者救済の新しい社会システムを発明しない限り、日本人の絶滅は不可避でしょうなぁ・・・


こちらもお読み下さい国の少子化対策がまるでピント外れな理由

少子化の真の理由は、恋愛弱者救済制度が崩壊したせいだよねと思われるお方はポチッとお願いします。
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posted by 山中 一人 at 17:26 | Comment(30) | TrackBack(0) | 内向型人間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2024年05月22日

内向コミュ障にとって労働も負けイベである

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人生というリアルRPGにおいては、我々は伝説の勇者なんかで無く、ただの背景キャラです

ども、毎日が日曜日ばかりの人生の者です。

さて、前回のタイトル【コミュ障にとって学校は負けイベである】にて、我々コミュ障弱者には、ただただ負けイベとして学校に行くしか無いという事実を述べました。

但し、苦節12年〜16年の学生時代を乗り越えて、ようやく辿り着いたサラリーマンライフも、我々内向コミュ障にとっては、まだまだ負けイベントが続くのです。

考えても見て下さい。

何の取り得も無い、ブサイク陰キャだからこそ、学生時代カースト底辺を強いられた人間が社会人になったからといって、急にヒーローになれる訳無いじゃないですかー。

というか、人並の待遇を望む事すら無理があるというモノ。

そこを履き違えて、社会人デビューなんて夢見ると、それこそ、心に二度と消えない辛いトラウマを増やすだけです。

とは言え、若い頃は誰しも、過ちを犯すものです。

そういう僕でさえ、誰も暗い学生時代の事を知らない職場なら、もしかしたら新しい人間に生まれ変われるのではと、全く心機一転精一杯陽キャのフリをして頑張りましたが、秒で馬脚を現し、ただの痛いキョロ充野郎との烙印を押される始末でした。

今でも、家で一人風呂場でシャワーしてる時なんかに、その時の恥しい過去エピソードがフラッシュバックして、思わずアッーと叫んでしまい、家族に聞かれなかったと冷や冷やして生きてる有り様です。

とは言え、学校に比べれば、会社の方が遥かにマシでした。

まず、学校と違い、大人には法律が適用されるのが非常に嬉しかったです。

例えば、どんなに最悪なパワハラ上司といえども、手を出せばそこで終了です。

なので、僕の場合、パワハラ上司が怒鳴って来た場合、いつも心の中で、「もしも一発でも殴って来たら速攻で警察に通報してやるのに」と臨戦態勢で待っていましたね。

まぁ、大人の社会では、そういう変な上司は結局は異動になって消えて行くモノですので、その点でも事実上卒業まで逃れられない学校よりは救いがあります。

そもそも会社には学校のようなDQNがいないだけでも、僕的には随分と救われた気分になったものです。

しかし、会社も集団生活の場である以上、基本的に我々内向コミュ障にとっては、非常に居心地の悪い場所である事に変わりがアリマセン。

勿論、職場イジメも普通にありますしね。

大人のイジメは、無視・仲間外れ・差別的扱い等、労基に訴えられないギリギリの線を陰湿にやるだけに、質が悪く自尊心をズタボロにされてしまいます。

普通の人は、仕事のストレスだけでもキツイのに、内向コミュ障の場合、これに人間関係の悩みも加わる訳ですから、通常の3倍は苦しい社畜生活を強いられる訳です。

そして、内向コミュ障が更に厄介なのは、例えイジメで無くとも、そもそも社内で喋れる人間が誰も居ないのがデフォという状況だからです。

考えても見て下さい。

朝の挨拶で「おはようございます」と小声で一言発しただけで、夜遅くまで、誰とも全く一言も会話せずに退社する人間の心中を。

周りからは仕事の虫と揶揄され、アンタッチャブルな存在になって行きます。

因みに、僕の奥さんも同じ職場だったのですが結婚する前は、僕が普段会社に居る時はしんだ魚のような目をして全く生気の無いつまらなそうな表情しかしてないので、オフの日のプライベートでは余程はじけてイキイキと充実してるんだろうと思ってたそうです。

まぁ、そうでない限り人間としてのバランスがとれる筈無いと思ったらしいですね。

実際は仕事の虫でも無ければ、私生活が充実してる訳でもなく、ただ他人とフラットなコミュニケーションが取れないというだけの話だったのですが・・・

しかも、下手に歳を取って、名ばかり管理職みたいなポジションにされると、上からは到底不可能なノルマを押し付けられ、下からは無能コミュ障上司と馬鹿にされる地獄のサンドイッチ状態に追い込まれます。

かくの如くコミュ障が、60歳〜65歳の定年退職までサラリーマンを続けるのは、どだい無理が有り過ぎるのです。

故にサラリーマンステージに上がってからも、リアルRPGの負けイベと割り切って、労働開放・アーリーリタイア・FIREを夢見て、ひたすら臥薪嘗胆で耐え忍ぶしか無いのです。

兎に角、会社とはお金を貰う為の集金マシンと割り切り、無駄使いは自身の血を流すのと同義と捉え、只管ドケチライフで毎月お金を貯めては株式投資で増やす事に専念するしかアリマセン。

そうして、投資だけで食える程の資産形成が出来てから念願の早期退職に踏み切って下さい。

ここで大事なのは、中途半端な額でギブアップしてリタイアする愚を犯さないようにすべきという事です。

少なくとも投資で食えるレベルの資産額が無いと、多くの若年貧乏セミリタイアーのように、一生バイト漬けの毎日か生保以下の自家発電人生に落ちぶれてしまい、生まれてからしぬまでズーっとカースト底辺人生で終了してしまいますので。

我々内向コミュ障は集団に入る事が何よりもストレスですから、歳を取ってから正社員よりか遥かに待遇の落ちたバイト人生で一番下っ端になり、自分より若い上司にアゴで使われるのは、まず耐えられない事でしょう。

その為には、若い時は、金のかかる趣味なんて一切不要です。

唯一、株だけを趣味にして下さい。

一般的に、司法書士合格に要する勉強時間は3000時間、社労士なら1000時間と言われますが、どんな職業でもその道で食えるようになるにはそれなりの勉強時間が必要です。

しかし、株なら、それよりも遥かに少ない時間で食えるレベルに到達出来ます。

ただ、多くの人は、その僅かな時間と手間すら惜しんで、カリスマの成功話に飛びつき、株ならそんな教祖様の言う事を聞いてればよい筈だと、セルサイドの安直な儲け話を妄信して、沼にハマり、株なんて儲からないと退場して行くのです。

本来、働かずして労働者の利益を享受出来る株式に投資してて損するのは、株で損してる訳では無く、ただセルサイドの養分になってる事に気付いてない自称投資家が多いだけの話なのです。

学校においても、そして会社組織においても常にカーストの底辺を這う事を宿命付けられた我々コミュ障が、唯一生きられる場は、そんな集団生活を上手くこなせる人達が、苦労して頑張って稼いだ利益を100%頂戴出来る、資本家になる道しか無いのです。

幸い、日本は我々のような集団生活を送れない人間でも、指先一本で、人間集団の頂きに上がる事が出来る資本主義社会です。

どうか、内向型同士の皆様も、人間関係0でも食えるライフスタイルを達成するまでは、サラリーマン時代は、リアルRPGの負けイベと割り切って、FIREステージに上がるまで、ひたすら金を貯める事だけを考えて下さい。

我々コミュ障にとって、フラットな人間関係を構築する事は東大に合格するより至難の業ですが、ドケチライフと株式投資で資産形成するのなら、ある程度の時間さえ与えられれば、不可能では無い、というよりも、非常に蓋然性の高い事象と言えるでしょう。

人は裏切りますが、株は裏切りません。(正直、たまに裏切られますが・・・)

きっと、定型の人が定年退職するよりは遥かに早く、社畜人生から労働人生から解放される筈です。

我々内向型人間にとっては、日曜日の昼下がりに一人自宅でハンバーガーでも食べながら、ボーッとテレビでも見てるような、そんな人間関係ゼロの完全自由空間こそが、最高の幸せなのですからね。

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posted by 山中 一人 at 11:05 | Comment(12) | TrackBack(0) | 内向型人間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2024年05月15日

コミュ障にとって学校は負けイベである

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コミュ障なら学校が楽しいと思った日なんて1日も無いよね

ホリエモンが学校なんて行く意味ないと主張して論争になってるそうです。
   
堀江貴文氏改めて「学校行く意味ない」と主張「友達も勉強も全部ネットで」との私見にコメ欄白熱
 ホリエモンこと実業家の堀江貴文氏(51)が13日、自身のユーチューブチャンネルを更新。改めて「学校へは行かなくていい」と私見を述べた。

 堀江氏は「『学校は楽しいから行く』って言ってるやつ聞け」と題した約7分の動画をアップし「はっきり言って学校行く意味はないです」と主張。「今の時代ね、友達も勉強もそういったことも全部ネット経由でできるじゃないですか」と語った。

 さらに第3の場「サードプレイス」も整備されていることにも触れた。
 さらに義務教育の意味についても言及した。「そもそも小学校中学校の義務教育っていうのは兵隊さんを作るための教育なんですよね」と言葉をつむぎ「国民国家ができた時に自分たちの国は自分で守らなければいけないということで徴兵制が始まるわけですけれども。すでにもう日本って徴兵制を廃止している国ですよね」と指摘した。

 続けて「勉強っていうのはそもそも生涯を通してやるべきものであって」と前置きし「勉強って普通にSNSとかYouTubeとかでもいいんで。いつでもできるし好きなことに関して言えば、ずっと学び続けられるし。そんなストレスかかんないと思うんですよ」と語った。「好きなことだけをやって生きていって、全然いいと思います。親が心配することでも僕はないのかな。いくら心配したってダメなやつはダメなんで」と持論を展開した。

 「学校に行くべきかどうか」論争は、幻冬舎の編集者、箕輪厚介氏がXで「GW明けだからか子供が小学校をサボろうとするから学校行けって言ったら、ホリエモンが学校行かなくていいって言ってると返された。むずい」とポストしたことが発端だった。

 元不登校の高校生ユーチューバーゆたぼん(15)は「ホリエモンが『学校に行かなくていい』って言ってるからといって学校をサボって、大人になってから困ってもホリエモンは責任を取ってくれない。人生の責任は自分自身。僕も学校は行きたければ行けばいいし、行きたくないなら無理に行かなくていいと思う。でも、楽しめそうなら行ってみてもいいと思う」とつづった。

 堀江氏は9日、箕輪氏のこの投稿を引用し「行く意味ないじゃん学校」と一言つづった。それに対しても、ゆたぼんは同日「野菜は美味しいから食べるのと同じで、学校は楽しいから行くんだよ」と”反論”し、ネット上で一連のやり取りが話題になっていた。
5/13(月) 日刊スポーツより抜粋引用

先ず、ホリエモン自身が難関私立から東大現役入学の高学歴であり、彼のその後のサクセスが学歴という錯覚資産の恩恵無しにはアリエマセン。

最近では、ホリエモンとか成田悠輔とかの著名人が学歴なんて意味が無いみたいな、不登校弱者に寄り添うようなムーブメントが流行ってるようですが、そんなキレイごとを言ってる当のご本人達は皆軒並み高額歴の恩恵をフルに享受してるので、説得力0なんですよねぇ。

まぁ、そもそもホリエモン自身が通信高校を主体とした教育ビジネスに取り組んでるので、既存の学校が必要無いとの主張はポジショントークであるのは明らかなのですが・・・

第一、今更ホリエモンに言われるまでも無く、そもそも勉強なんてわざわざ学校に通わなくても、教科書や参考書に答えが書いてあるので、自宅で勉強した方が遥かに効率が良いのは当たり前の話です。

因みに、これは僕だけかもしれませんが、解らない事があるからと言って友達や先生に聞いた事なんて一度もありませんよ。(というか聞く友もいませんでしたがw)

だって答えは全て教科書や参考書に書いてあるじゃないですか。
(今ならグーグル先生に全てのってますよ。)

なので、僕の場合、授業中は最初の5分で今日やる分のページを読んでから、後は全て一人妄想タイムでやり過ごしてましたね。

そもそも授業なんて先生が黒板に書いている事を只管ノートに書き写させたりしてますが、それ全部、マニュアルとして配れば終わりですよ。

いや手でノートに書くことに意義があるというなら、自宅で教科書の中身をノートに書き写しますから。
わざわざ先生の小汚い後頭部ごしに、周りのDQN連中の私語に患わせられながら、狭い教室で集団でやらされる意味が全然わかりません。
そのストレスの方がむしろ勉強に集中出来ないです。

故に、ホリエモンレベルの秀才なら、学校に通わずに塾のみ行ってた方が、通学時間や体育や文化祭等の無駄な時間に邪魔されない分だけ、遥かに東大現役合格の確率が高くなる事でしょう。

とまぁ、ここまで書くと、僕はホリエモンの論調に賛成かのように思われるかもですが、実は全く賛同出来ません。

彼は、義務教育は兵隊を作る為にあるから、今は必要無いと宣ってますが、全然見当はずれです。

平和国家の現代日本で義務教育がある理由は、深く物事を考えない社畜を量産する為です。

物心の付いた頃から朝から夕方まで、大勢の人間を狭い教室に閉じ込めて、同一の事をさせる事によって、集団生活が出来る労働者を育成するのが主目的です。

そして、実際の社会でも、群れの中でリーダーとなるのは基本的にスクールカースト上位のコミュ強者なので、学校システムの枠外の人間はそもそもメンバーになる事すら許されません。

現実に中卒では、就職すら叶わず、一生フリーター人生が確定でしょう。

引用記事でゆたぼんが「学校は楽しいから行くんだよ」とうそぶいてますが、ほとんどの一般人は就職する為には、学校に行かざるを得ないのが現実なのです。

元よりそこには、楽しいから行くなんて甘えは存在しないのです。

さて、長々と子供でも知ってるような超当たり前の現実を書いてきましたが、ここからが本題です。

我々コミュ障弱者にとって、集団生活を強制される学校は地獄です。

現代国家にも関わらず、加害者の人権という建前の基、法律が一切通用しない無法地帯と化してる日本の学校においては、非常に原始的な腕力や攻撃性や体格及び運動神経のある者がスクールカースト上位に君臨し、オタク・ガリ勉・運動音痴は下位を強いられます。

中でも、コミュ障弱者は3軍中でもカースト最下層を這いずり回る宿命にあります。
   
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しかし、そこから逃げてまともな学歴も身に着けずに社会に出ると、零細ブラックのサラリーマンにすらなれずに、一生低収入フリーターのままか引きニートとなって、チー牛・弱男と罵られてそのまま人生ゲームが詰みます。

何で、違法行為の被害者の人生の方が終了させられるのか、誠に理不尽極まりないのですが、これが現代日本の構造である以上逆らえません。

我々コミュ障弱者には学校が楽しいなんて事はあり得ず、ただただ負けイベとして学校に行くしか無いのです。

負けイベとはロールプレイングゲームにおける負けイベントの事で、シナリオ展開上勝つことは出来ず、負ける事でシナリオが展開するイベントです。

元々負けが確定してる以上、そこでアイテムとかを使うのは無駄でしかありません。

我々コミュ障にとっての学校も、カースト底辺の負け組になる事は確定してますが、そこで無駄に足掻くのは、徒労に終わるだけで無く、人生の黒歴史として、トラウマ級の辛い過去を増やすだけでしょう。

そこは潔く、リアルRPGの負けイベと割り切って、社会人ステージに上がるまで、ひたすら臥薪嘗胆で耐え忍ぶしか無いのです。

さすれば、僕のように会社も学校も無い、酒と薔薇のFIREライフの毎日を満喫出来る事と思いますよ。

酒は発泡酒1本で、薔薇はブクブク嫁かもですが・・・

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posted by 山中 一人 at 22:30 | Comment(10) | TrackBack(0) | 内向型人間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2023年09月20日

友達0人でも楽しく生きる方法

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我々内向型なら、3人で座ると必ず1人側になるよね

ども、友達0人男です。

さて、我々内向コミュ障なら、友達0人がスタンダードだと思いますが、何と、日本人男性は50代の約4割近くが友達いないそうです。
  
50代男性の40%が友達ゼロ。だが「俺は友達多い」と見栄を張る“おじさん”…なぜ「中年男性」は友達が少ないことを恥じるのか?

上記リンク先記事を読むと、50代になると急に友達いない率が跳ね上がってる事が分かります。

やはり、それ位の年齢になると会社でも出世して役員になる者から閑職に追い遣られたり、リストラされたりする者まで、かなり格差が拡がるので、お互いに疎遠になっていくのでしょう。

人間のオスは、自然にマウントを取り合う生き物ですので、立場が違ってくれば、どうしても気まずくなって行きますからね。

但し、よくよく本文を読むと、「悩み事を相談できるような友達の数」が0人との事でした。

まぁ、いいオッサンが、他人に悩み事なんて相談出来る筈も無く、そりゃそうでしょというアンケート結果でした。

例え友達だろうが、というかむしろ友達だからこそ、他人の悩み事なんて最高のメシウマ案件でしょうからね。

つまり、友達なんて、所詮はそれ位の価値しかないモノなんですよね。

というか正直、いいオッサンが友達付き合いする意味が分かりません。

僕から見れば、ぶっちゃけ、いい歳になって、同性のオジサンと会うのは、何を話すのかとか考えただけで、ダルいです。

歳取ってからの友達なんて、ただただ、面倒なだけで、下手したら不愉快な思いを押しころしてまで同調しなきゃいけないストレスまで考えると、居ない方が遥かに自由で幸福な人生を送れると心から思います。

(まぁ、友達0人の僕が言っても、「ただの僻みだろ」と言われそうですけどねぇw・・・)

なので、我々内向型人間にとっては、本来、友達なんて居ない方が楽なんですが、上記記事中にあるように、普通の人間は友達が居ない事がまるで恥ずかしいと思う思考の人々が殆どです。

これは、「一年生になったら友達100人できるかな♪」の歌のように、幼少期から友達が多い事こそが正しい生き方だとの洗脳にあるのだと思われます。

とにかく、学校とは、友達が居ないと不都合な事が多すぎて、非常に生きづらいシステムですからね。

まず毎日の給食とか、好きな友達グループ同士で机を集めて食べてましたので、友達が居ないと、それだけで晒し者です。

そして、遠足とかのグループの班決めでも、どこにも入れないと、嫌われ者として、皆から笑いものにされてしまいます。

なので、友達のいない僕なんて、遠足や修学旅行の班決めの日が迫ると、毎日憂鬱地獄でしたよ。

高校に入ってからも、学食でのボッチ飯でネタにされるのが辛かったので、いつも一人図書館でお菓子食って凌いでましたね。

前回の【人の孤独を笑うな!】のタイトル記事でも言いましたが、孤独が寂しいのでは無く、集団の中で孤立して、ボッチだと笑われるのが堪らなく苦痛なのです。

しかし、現代社会において、集団生活、特に学校のような人間関係の構築こそが主目的の社会においては、友達作りは必須です。

なので、僕も、中学時代は、給食グループの末席に加えて貰えるように、おみそとしてニヘラ笑いを浮かべて友達ゴッコのふりをしてやり過ごしてましたね。

自分までころして、演技するのは、自尊心を破壊され、本当にしんどかったです。

なので、小・中・高時代には、二度と戻りたくない、暗黒時代です。

大人になれて何が良かったかと言えば、学生時代のようなウエットな友達関係を構築しなくても生きられる所でした。

それが、日本人男性50代の約4割に友達が居ない現象にも現れているのでしょう。

実は、本当は友達なんて居ない方が楽という人がそれだけ多いという事なんですよね。

さて、本題の、友達0人でも楽しく生きる方法の回答ですが、やはりFIREするのがベストだと思います。

現代社会は、お金が充分にあれば、一人でも十二分に楽しく生きられます。

何らかの集団に属してる限り、どうしても余計な人付き合いが避けられず、また友達の多寡を人間の価値と捉える風潮の為、友達が少ない事を恥じなきゃいけないシチュエーションに遭遇する場面も不可避でしょう。

故に、社会との関係を無に出来るFIREライフこそが、最高に自分らしく生きられる方法なのです。

定年退職した人に、友達が居ない割合が一番多いのは、集団に属さなくなるからでしょうが、歳とって頑固になると他人と合わせる苦痛に耐えられなくなってくることも多いと思われます。

我々内向コミュ障は若い時から、他人に合わせるのが苦痛の性分ですから、自らの自由意志によって、退職年齢を早めて、定年退職状態にして、嫌な人間関係のくびきからの脱却を図る事がベストな選択なのであります。

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posted by 山中 一人 at 20:20 | Comment(14) | TrackBack(0) | 内向型人間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする